医学博士 高英成のことば

今医学部合格に必要なものとは

京都第二赤十字病院 心臓血管外科部長
京都府立医科大学臨床教授
東京女子医科大学非常勤講師
医学博士 高英成

10年一昔と言いますが、僕が大学受験に身を費やしたのはもう40余年前ですから、
今受験を迎える人たちにとっては想像もできない昔の話となりました。

大阪近郊の公立中学で学んでいた僕は、
学区の中で最も進学校であった府立K高校から大阪大学医学部に進むとクラスで公言し、
幸先よくK高校に進んだものの、高校二年頃よりタバコ、麻雀、ビリヤードを覚え
大阪ミナミのジャズ喫茶ロック喫茶にたむろする日々を送るようになり、
大阪大学の工学部あたりならともかく医学部は当然無理だという状況になりました。

ただ医学部へ行く固い意思だけは変わりませんでしたから、
親から環境を変えるというか悪友から離すべく、
東京の大手予備校の寮に入ることを勧められた時も二つ返事で了承したものです。

この予備校の寮は4人一部屋のタコ部屋の如きものでしたが、
他の部屋では東大へ行く連中がほとんどの中で僕の部屋は
京大理学部、九大医学部、東大理学部と多彩な進学先で、
当初は僕もそれなりに一生懸命勉強していましたが、
実はなぜか大阪の高校時代の悪友が何人も東京の予備校に来ており、
夏あたりからその連中との付き合いが再開してしまい、一時は予備校の寮に何週間も帰らず、
東京をウロウロする日々を冬頃まで送る羽目になってしまいました。

この時点でこの年の医学部合格は諦めましたが、二浪目には必ずやと固く心に決め、
これをしっかりやれば合格だろうという予備校の問題集の講義録を筆写、
さらに参考書をセレクトすることに力を注ぎ、大阪へ帰ったのです。

親は当然心配して予備校へ行けと何度も言ったのですが、
やるべきことはわかっていると変な自信があったので、いわゆる宅浪で受験勉強しました。

夏頃まではそれなりにという感じでしたが、秋頃からは寝ている間以外はひたすら勉強という生活で、
受験直前には食事中も受験会場の下見へ行くときも歩きながら勉強という中毒状態になり、
本命の京都府立医科大学受験数日前にはやることもなくなり、
合格の確信を得て受験には関係のない本を読んでいました。

受験当日も数学の問題を解いている最中に「これは通ったな、あとはオマケの点数だ」と思う有様です。

こんな経緯を得て京都府立医科大学へ入学し、
卒業後は心臓外科医としての生活を35年ほど送ってきた次第なのですが、
僕も気がつけば人の親、息子娘の苦汁を幾度もなめた受験を経験すると、
もう僕が受験した頃とはずいぶん変わってしまったことが実感できました。

受験、それも医学部合格に必要なのは僕の時代では
本人の確固たる強い意志と本人のたゆまぬ勉強、
努力こそが最大かつ必要十分な条件だったのですが、
今はもうそれだけではやっていけない時代になりました。

今必要なのはそれに加えて、情報収集とその情報のセレクト整理、
そしてそれをその人に合わせて使いこなすナビゲーターです。

もちろんそんな情報を全く必要としない秀才も実際いるのですが、

それなりの人間が医学部という難関を突破するには
やはりナビゲーターが絶対に必要です。

そういう意味では僕の家族が慶応進学会の杉崎先生に巡り会えたというのはまさに僥倖というものでした。

杉崎先生はきわめて多彩な学識に加え、受験の情報収集に優れ、
何より家族と本人をその気にさせるオーラともいえる人格があります。

医学部を目指す皆さん、ぜひ、杉崎先生のような素晴らしいナビゲーターを信じ、
そして悔いのないよう、死ぬほど勉強してください!

結果はどうであれ、それはある意味、
医学部へ進み医師になってからのあなたの生き方をも左右していくのです。

どういう医師であるかということがその人の人生を決めていきます。

健闘を祈ります!