医学部受験で小論文・面接試験が課される「真」の理由⑮

大学受験界における真理

これまで見てきた通り、難易度が高ければこそ、真に医学の道を志すのではなく、「医学部合格」の栄誉を得たいが為だけに医学部を受験し合格を果たした後、東大文一等、まるで異なる分野に属する第一志望校に進学する受験生が少数ながら実在するのもまた、今も昔も変わらない大学受験界における真理であると言えよう。しかし当然の事ながらこの様な受験生は実在していても、医学部受験生全体から見れば無視し得る程少数であるから、医学部入試のあり方を変える原動力になる事はあり得ない様に思われる。しかしかつての近畿大医学部センター利用方式の後期に関しては、どうやら影響はないと判断してはいられない、選抜方式そのもののあり方を揺るがし得る、深い事情があったのではないかと推測される。

「歩留まり率」というキーワード

センター試験・共通テスト利用方式一般のあり方について論じた際の「歩留まり率」というキーワードを思い起こして欲しい。確かに難関大学・学部であれば優秀な受験生が多数受験するのは望ましい事であり、更に言えば縦令結果としては優秀な学生が集まり、然るべきレベルの学術的活動が展開されていようとも、入学試験時の倍率が余りにも低い場合は、文科省は言うに及ばず、社会一般からの批判の対象になる事さえあるのは紛れもない事実である。ただ一方で、どれだけ多くの優秀な受験生が受験しようとも、実際に入学して学生になる者が少な過ぎれば意味をなさない事もまた事実と言える。そして以前述べた通り、合格者に占める入学者の割合、つまり歩留まり率が非常に低いか、或いは文字通りのゼロになってしまう事さえあるからこそ、有名私大のセンター試験単独で合否を判定する入試枠は次第に狭まっていったと推測されるが、近畿大医学部センター利用の後期こそ、歩留まり率の低いセンター利用入試の典型であったと言える。日々医学部を真剣に志す皆さんであれば「苟も医学部入試で何故この様な事が起こるのか?」と首を傾げる事であろうが、先述の通り単に合格したいだけの受験生であれば、医学部進学を熱望する親戚等に医学部合格が「発覚」してしまい、有無を言わせず進学させられる様なケース(果たしてこの様な医学部入学者が6年間の医学部における質・量ともにハードな学習に耐え抜き、医師国家試験に合格してその後社会全体にとって有用な人材になれるのか、と疑問に思う方も少なからずいらっしゃるであろうが、医学部入学時のモチベーション如何によって、その後の数年乃至は数十年のあり方まで決まってしまう程、人生というものは単純ではないと思われる。詳しくは機会を改めて議論を進めたいと思う)を別にすれば、まず進学する事はないであろうから、基本的に歩留まり率の低下にしか貢献しないと言えるし、真剣に医学部入学を志している層であっても、大学独自の面接・小論文が課されていない時代にあっては、出願した時点で、受験科目不足等の理由による欠格という事例を除けば全員が最終合否判定の対象者になる為、3月に入ってからの合格発表の時点では、より志望順位の高い医学部に合格しているが故に、入学手続きに進む事がないという事情もあり、その上合格者数が2名程度と極端に少ない事も手伝って、歩留まり率はゼロがデフォルトであるとさえ言われたのである。

繰り上げ合格を出せば良いではないかという指摘

勿論順次繰り上げ合格を出せば良いではないか、という指摘もあろうが、はっきりとしたデータは確認出来ないものの、当時の近畿大医学部センター利用入試では水増し合格もなければ、繰り上げ合格も基本的に出していなかった様なので、成績上位者約2名が入学手続きを取らなければ歩留まり率ゼロでおしまい、ただそれだけの試験であったと推測される。尚、現代の医学部における共通テスト利用選抜においても、一般選抜と比べて水増し合格や繰り上げ合格に消極的な所が少なくはない事にも注意を要するが、それにしても文系科目での受験、或いは私立医学部志望ながら受験科目の一部に非常に苦手なものがあり事実上の一本勝負を懸ける様なケースを別にすると、センター試験の純然たる3科目のみとは言えほぼ満点が取れるだけの実力があれば3月の合格発表を待たずとも、他の医学部から合格通知を既に受けている可能性が極めて高い事は何とも皮肉な話であるとも言える。だからと言って少数科目での医学部の合否選抜が一般に上手くいかないかと言えばそうではないのもまた興味深い点ではあるが、上手くいっている好例が「あの医学部」、つまり帝京大医学部の入試であると言える。読者の皆様は「結局『あの医学部』の正体を明かしただけで今回は終わりなのか?」とツッコミを入れてくれて構わないが、様々な意味で他に類を見ない、時空を超える医学部入試考察にもう少しお付き合い頂ければ望外の喜びである。(続く)

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