医学部受験で小論文・面接試験が課される「真」の理由㉙

最も馴染みのある高度専門職とは何か?

前回述べた通り、傍若無人なセレブの皆様が、様々な困難に出会った時に是非とも頼らねばならない高度専門職の方々の意見にさえも耳を貸さない可能性が高い事を批判するのは、知名度も収入もセレブの皆様には遠く及ばない私にも容易に達成出来るカタルシスの一つと言って間違いないであろう。しかし単にカタルシスに浸るのではなく、我々も無意識の内に批判の矛先にあるセレブの皆様と同等の愚行を犯しているのではないかと内省する事も重要ではないかと考えられる。
我々一般人にとって、最も馴染みのある高度専門職とは何であろうか? 言うまでもなく医師であろう。弁護士や公認会計士とは生まれてから一度も顔を合わせる事もなく成人していく人も沢山いるだろう(否、特に都市部であれば無意識の内に顔を合わせている可能性も十分にあるが、弁護士の向日葵バッチに代表される、身に付けている人が従事している職業を明示するアイテムまであったとしても、特に意識すらしていないというのが実情であろう)が、医師に会わずに成人している人というのはほぼ皆無であろう。先述の様な、無意識の内の邂逅をも含めて考えるのであれば、特に先進国においてはこの世に生まれて間もなく出会う同種の生物の職業に医師が含まれていないケースの方が稀であると推測出来る。従って人生のごく初期から誰にとっても密接な関わりのある高度専門職が医師であると言えるが、その様な医師の事を一部の困ったセレブさんと同様に軽視する傾向が我々の中にもあると言わざるを得ないのである。勿論「数(の旧字体)の上にくさかんむり」という漢字がこの上なく似合う医師も現実には多数いるので、この様な方々がそれなりの医学知識や、化学・生物系の知識を具えた一般人から軽んじられるのは専ら医師側の責任であるから、特に気にする必要もないと評価出来るが、然るべき知識や技術を具えた医師であろうとも、特段高慢とも言えないごく普通の方々からも軽視される傾向がある事には皆様お気づきであろうか? 実は若い医師、或いは実際は大して若くはないものの若く、或いは幼く見えてしまう医師は、特に年配の患者からは軽んじられる傾向があるというのが紛れもない真実である。勿論前回記した通り、医師からの助言を無視した場合に訪れる「最悪の事態」とは「死」そのものであるから、医師の見た目等気にせずに、医学的合理性のある助言(場合によっては「ドクターストップ」という形を取るかも知れないが)には即刻従わなければならない筈なのだが、例えば目の前にいる医師が医学部に現役合格し留年もせずに医学部を卒業して、国家試験も現役合格を果たしたばかりの、24歳の秀才であったとしても、一部の年配者の場合「若造」と見るや、意識的か無意識的かを問わず目の前の医師を軽視し始め、それ故その医師からの助言も自ずと無視する結果を招くと考えられる。

見た目こそが重要なのである

それではどの様な医師であれば、かなりワンマンなセレブの皆様でもすんなり信用してくれるのであろうか? 検討すべき事はそう多くはなく、見た目こそが重要なのである。しかも多くの人が憧れる様なイケメンや美女の方が良いというものでもなく、単にそれなりに年配であれば良いのだと考えられる。どの様な人物であっても何らかの不安を感じている際に、父母や祖父母に近い年代の人物と相対するだけで相応の安心感を得られる事は一面の真理であろうし、必ずしも医師としての経験が長くなくとも、会ってすぐに医師としてのキャリアが分かる訳でもないから、年月的に一切遠回りする事無く医師免許を獲得した後医業一筋で働いてきた人物であっても、医師以外の仕事に長年従事した後に再受験を経て医師になった人物、或いは多浪や多留を経てどうにか医師になった後、ゆっくりと医師としてのキャリアを重ねてきた人物であっても、目の前の患者さんに暗黙の裡に与える安心感という面において大きな差異はないものと推測出来る。しかも殆どの患者さんは平素から医学に強い興味・関心を寄せている訳ではないから、特に問診が重視される内科等の診療科において、医師と話を始めてみると、「人生の遠回り」を通じて医業に限らず様々な経験を重ねてきた医師の方が話していて面白く、それ故信頼に値すると感じる人も少なくはないであろう。さて、このコラムもひとまず次回で最終回を迎えるが、ここまで読んでくると再受験生や多浪生の方が現役生よりも実は有利であるという、世間一般の価値観との倒錯をもって終了すると予想する読者の方もいらっしゃるかもしれないが、事態はそれ程単純なものとも言えないので、気になるフィナーレは各自自分の目で確かめて欲しいと思う。(続く)

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