医学部受験で小論文・面接試験が課される「真」の理由㉚

小論文・面接試験が課される理由

遂に迎えた本シリーズ最終回であるが、「色々と話を広げてきた挙句、果たして収拾がつくのだろうか?」と訝しく思っている読者の方も決して少なくはないであろう。しかし毎回欠かさず精力的に本コラムを読んできた方にはお分かり頂けると思うが、見た目は色々な話をしてきただけで、テーマに沿った形で進めてきている事は間違いないし、タイトルの「小論文・面接試験が課される理由」についても既に答えの一つはだいぶ前に出ているのである。一つ目の理由というのは実に単純なもので、それは多くの場合一次試験とは独立した日程で課される、主に小論文・面接試験から成る二次試験が実施される事それ自体に、医学部入学者選抜という観点で重大な意味があるという事である。必ずしも医学部に限った事でもないが、難関突破にのみ憧れて受験を決める層が一定数いる事も学校(例えば進学する可能性が殆どない、居住地とはまるで違う地域に所在する難関私立中高一貫校を受験する小学生も例年確実にいるので、敢えて「大学」と限定する事さえも避けておきたいと思うが)にとっては多くの受験生から「難関」と認められたという意味で名誉である事も紛れもない事実であるが、これも一定数である事が重要であり、この様な時には「荒らし」とさえ呼称される受験生ばかりになってしまい、入試で相応の成績を収めた受験生で定員を充足する事さえままならなくなったならば、特に実際に在籍している学生数に応じて助成金が支給される仕組みになっている医学部では文字通り死活問題である。「苟も医学部でそんな事態に陥り得るのか?」と疑問に思った方は以前取り上げた嘗ての近畿大医学部センター利用方式後期の話を思い返して欲しいが、これもあくまで非常に募集人員の少ない複線入試であるから大きな問題とはならすそれなりの期間継続したものの、より多くの募集人員を擁する選抜方式で「歩留まり率がほぼゼロ」といった事態を現実に招いたならば、その年度に関しては他の選抜方式でどうにか定員を満たすとしても、翌年度には入試制度改革が行われ、場合によっては殆ど入学者を確保出来なかった入試方式を導入したり支持したりした人物が更迭される事も十分にあり得るであろう。

当該医学部に入学したいという気持ちを有した人物を選び出すため

従って、少なくとも相応の金銭的・時間的・体力的コストを払ってでも、二次試験で(殆どの場合)大学所在地まで出向く事をも厭わない程度の、当該医学部に入学したいという気持ちを有した人物を選び出すためにこそ、二次試験を課しているというのは一面の真理であると言えよう。しかしそれだけが二次試験を課す目的であるとするならば、例えば二次試験の内容は、特定の日時に大学所在地まで出向いて、大学職員立会いの下、校門にハイタッチするのみでも良い筈である。そしてハイタッチの事実が認められなかった受験生に関しては残念ながら失格とすれば、大学所在地まで出向く気力すら伴わない「荒らし」受験生を一掃できるのだから、受験生のみならず大学側にも多大な労力を要求する小論文や面接試験を課す必要等ないとも言える。この様な斬新な内容の二次試験を導入した場合、一部のお堅い受験生やその保護者等が「キレる」事は想像に難くはないから、将来キレやすい医師になる危険性のある人物を排除出来るという意味では画期的な試験内容になるかも知れないが、大学側としてはわざわざ大学所在地まで出向いてもらって一瞬のハイタッチだけで終わらせたのでは、受験生に対して申し訳ないと思うとともに折角だからもう少し受験生の人となりを見てみたいというのが大学側の本音となるであろう。そう考えれば二次試験の内容が多くの医学部で小論文・面接試験となるのは必然であると言えるが、人となりとは一体何なのかも一概には言えないので、詰まる所受験生の外面的な評価が中心となり、その際の具体的な評価項目が「素敵なおじさんおばさん(場合によってはお爺さんお婆さん)であるか否か」という事になるのだと考えられる。この様に結論付けると社会一般から見ておじさんおばさんと評して問題ない年代に達している多浪生・再受験生からブーイングが起こりそうではあるが、文字通りブーブー言っている時間があるのならば、自分は本当に「素敵な」おじさんおばさんであろうかと胸に手を当てて考えて欲しい。勿論ブーブー言っている時点でその可能性は極めて低いと推測出来るが、医学部在学中は若い医学生に対して威張るのではなく、若者とも対等に協力出来る一方で、ある意味模範ともなり、卒業した後は複雑な事情を背負った患者さんをも自分の人生経験に基づいて受け止められる医師になれる素質があると見られ、尚且つ一次試験で相応の成績を収めている人物をわざわざ不合格にする医学部は基本的にない筈なのである。勿論「基本的に」としておいたのは、大学により時代により年増の受験生に対する差別が行われている事は公然の秘密であるから、真に素敵なおじさんおばさん受験生であったとしても、二次試験で不合格となる可能性は否定し難いが、逆に相応の二次試験受験校数があって全て不合格となる事も稀であろう。従って意識を改革し、普段から自分の言動を見直していけば、見た目や発言内容はもとより書く文章も変わってくるであろうから、医学部の二次受験において年増である事をアドヴァンテージに変える事さえも可能であると評する事が出来る。一方で現役生や一浪・二浪生程度であれば、わざわざ年増に見える様に工夫するといった努力は不要であると推測出来るが、他方「若い」というよりは18歳以上とは思えない程に「幼い」(見た目のみならず発言内容や書く文章の稚拙さも含めた評価であるが)受験生であると、長年の指導経験から考えるに一次試験の結果が良好でも二次試験で芳しい結果が得られないケースが多いと言って間違いはないので、最低でも年齢相応の言動とは何かという事は研究し、身に付けておいて欲しいものである。

医師はごく一部の例外を除けば地味な職業

繰り返しになるが、他の高度専門職、或いは忍者と同様に、現実の医師はごく一部の例外を除けば地味な職業の一つに過ぎない。しかし医師という職業を通じて忍者の様にこの社会を陰から支えていきたいという志は賞賛に値するものであるから、その志を二次試験において落ち着いた佇まいで過不足なく伝えられる様、医学部を志す皆様には是非とも努力して欲しいが、志望理由として「子供の頃からの憧れであった忍者には、現代社会においてはなれない事が判明したので、似た職業を探して医師になろうと思った」といった内容や、まして「四谷メディカルのコラムの影響を受けて忍者から医師に志望変更した」といった内容を述べる、或いは書くのは厳に慎んで欲しいと思う。「忍」の文字が示している通り、真意は全て表に出せば良いという訳ではないのだから……。(完)

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