医学部受験で小論文・面接試験が課される「真」の理由⑲

帝京大医学部の入試に対して

それにしても最近の本コラムは結局の所帝京大医学部の入試を礼賛するのみではないかと疑問に思われた方は、このコラムのかなり熱心な読者であろうと推測出来るので、この様な疑問を持たれる事は筆者としては寧ろ歓迎すべき事だと考えるのが適切であろう。ただそこから一歩更に深めた邪推が始まり「帝京大から筆者に不透明なカネや利権の流れがあるのではないか?」とまで考えられてしまうと私としても断固否定せねばならなくなる。勿論相手方の帝京大に迷惑が掛かるというのも否定せねばならない理由ではあるが、これまでの人生を通じて私は帝京大医学部の入試に対して前向きな感情を抱いてきた期間が長かった訳ではないという事実の方が、より主要かつ本質的な理由であると言えよう。

今はふてぶてしいおっさんに成り果てた私にも、信じるか信じないかは読者の皆さんに任せるが、嘗ては純朴な高校生の時代、そして純粋に自分の望む未来を目指してひた走る一浪生の時代が確かにあったのである。ただ「純朴」という言葉は時として批判的なニュアンスを込めて使われる事もあるが、この時の私もまさしく大学入試、特に医学部入試に興味を持ち始めたばかりの年端もいかない餓鬼に過ぎず、従って帝京大医学部の独特の入試科目の意図を理解するには到底及ばなかったのであった。ただ約20年前の話であるから、以前このコラムでも触れた通り、4科目ではなく3科目で受験が可能で、数学が課される場合でも数3(厳密にはこの頃は数3Cであったが)が出題範囲から除外されている私立医学部は今よりも多く存在したので、帝京大医学部入試の科目の少なさを単純に批判する様な事もなかったと記憶しているが、寧ろ「勿体ない」と感じていたのが俄か医学部入試評論家の少年の本音であった様に思う。

「医学部=難関」という図式が十分に確立されていた時代

医学部入試に造詣の深い読者の方であれば直感するであろうが、20年前と言えば私立医学部入試の難易度は今程ではないにせよ、新設医学部の黎明期に当たる1970年代とは様相がまるで異なっており、ほぼ誰でも入れる様な医学部は皆無となっていて、今日まで続いている、大学を問わず「医学部=難関」という図式が十分に確立されていた時代である。まして帝京大医学部は東京都内、しかもやや端の方の立地であるとは言え23区内に位置しているのであるから、ある意味苦手科目を克服しようともしない、怠惰な受験生に迎合する様な、少数科目での入学者選抜は廃止して、多くの私立医学部と同様に英・数(数3C範囲を含む)・理科2科目を課す入試にして、多くの優秀な受験生を集め、その中から医学部での学習への適性が高いと思われる人物を入学させる方が合理的ではなかろうかと、若かりし日の私は余計なお世話以外の何物でもないと思いつつもしばしば考えていたものである。もっとも肝心の学科試験へ向けた勉強に対してはそこまでの情熱を示す事がなかったので、浪人したにも拘らず第一志望への合格を果たせず、再受験で第一志望合格を達成する20代半ばまで悶々と過ごすという代償を背負う事になったのが嘗ての私であったが、実は帝京大医学部の入試の真意が分かる様になるまでにはそれよりも長い年月を要する事になろうとは、この頃の自分は知る由もなかったのであった。従って次回は20代後半を迎え、少しは思慮分別のある様になった私が如何にして帝京大医学部入試に込められたメッセージを正しく読み取るに至ったかについて述べていきたいと思うが、それにしても嘗ての私の様に受験期に必ずしも自分が受験しない大学についてまで入試科目等を調べるのは厳に慎むべき行為である事は明記しておきたいと思う。これは受験勉強であるかの様に見える反面実際は暇潰しの域を越えるものではないし、今の私にとっては重要な知識ではあるものの、それも結果論に過ぎないのであるから…。

(続く)

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