医学部受験で小論文・面接試験が課される「真」の理由⑥

苗字から生まれた苦悩

前回は「苗字になど拘るな」という話で終わったが、私自身大変平凡かつ名乗っている人数も非常に多い苗字である為、これまでの人生を振り返ってみるに、自分の所属しているクラスやオフィス内に、同じ苗字の人がいてもいなくても、ファーストネームやそれに基づいたニックネームで呼ばれる事が殆どであり、寧ろ苗字で背後から呼ばれる様な事があったとしても、自分が呼ばれている事に即座に気が付けず、返答するまでにタイムラグが生じて周囲を困惑させた事さえある。その様な事態に陥っても、皆様私が主にファーストネームで呼ばれる人生を歩んできた事を理解し、幸いにして何らかのわだかまりを残す事も私の記憶している限り一度もなかったが、個人の一般的な呼称として大きな役割を果たす筈の苗字が、この様に平凡で名乗っている人が多いという理由だけで呼称としての価値を殆ど喪失している事に注意したい。
そして若い頃の私もこの様な苗字にコンプレックスに近いものを感じる様になり、いつかは苗字だけで自ずと注目されるレベルの、勅使河原の様な苗字を名乗りたいと思い、勅使河原家の婿や養子になる事を夢見ていた時代もあった。そしてその夢も叶わず平凡な苗字を名乗り続けるおっさんが今ここにいる訳だが、青年だったあの日の夢が叶ったとして、果たして勅使河原さんにありがちなニックネームである「テッシー」と私を呼んでくれる人がこの地球上に果たして何人いたであろうか? 寧ろこの記事が掲載された直後に私の苗字が勅使河原になったならば、熱心な愛読者の方が数名程度面白がって「テッシー」と呼んでくれる事もあるかもしれないが、前予告も何もなければ苗字がどうなったとしても引き続きファーストネームやそれに基づく呼称で呼ばれ続けた事であろう。従って出生時の苗字が思いの外大した意味をなさないのみならず、苗字を変える事で他人の興味を惹く事も殆ど無理だと考えておいた方が良いし、せいぜいで電話帳登録の変更が面倒だと文句を言われるという程度のレスポンスしか期待出来ないと心得ておいた方が無難だと言えよう。

苗字より医学部合格の方が重要なのではないか

筆者の過去の経験を長々と書くのは小論文としては高評価を得られなくなるので、そろそろ本題に入りたいと思うが、自分から多かれ少なかれ愛着のあるであろう生まれ持った苗字を捨てる必要はないものの、今回の受験日程重複の様に苗字を変える事で大きなチャンスが生まれるのであれば、苗字というものにそこまで大きな価値があるとは到底思えない以上、積極的に苗字を変更してしまえば良いと思う。

苗字が変わっても否定すべきことではない

勿論前回からウルトラCだと言っている通り、専ら医学部受験の為に苗字を変える人も少数であろうとは推測出来るが、医学部の6年間を考えると一学年100名強のうち数名程度は何らかの事情で苗字が変わる事があると思っておいた方が良い。その様な同級生に出会った時に「金と名誉に目がくらんだな」といった批判的な見方も、「実親が医学部の学資を支払えないから養子になるなんてかわいそう」といった過度に同情的な見方もどうかしないで欲しいと思う。勿論金や名誉とのトレードオフで婿・嫁・養子・養女等になる道を彼・彼女は選んでいるという側面も否定出来ないが、それは自分にも、また他人にも恥じる事ではないからである。たかが苗字を変える事で現在の医学生としての身分を安定したものに出来たり、近い将来スタートする医師としてのキャリアをより充実させる事が出来たりするのであれば、苗字を変えるという選択を否定的に捉えるべきではない。その上前半で述べた通り、苗字が変わった所で周囲の人達の呼び方も変わらない事の方が少なくないであろう。更に養子縁組をする場合でも実親との関係が心理的に終了しないのは勿論の事、法律上も基本的に終了しないのであるから、生みの親を大切に思う心優しい皆さんもこれはチャンスだと思う場面があるのであれば、未だ医学生であったとしても積極的に養子縁組や婿・嫁入りという手段を活用すれば良いのである。そして「医学部志望者に関係のない話ばかり書きやがって」というクレームがそろそろ聞こえて来そうでもあるが、それだけ医師の資格というのは世間一般で求められているという事を再度意識した上で、前向きに受験勉強を重ねて医学部合格を勝ち取り、このまま勅使河原姓に憧れながら朽ち果てていくだけのおっさんを様々な意味で超えていって欲しいと強く願っている。しかしカナコさんがオオバ姓になるとか、ナツさんがアンドウ姓になるといった場合は、それ相応の覚悟が必要である事もまた一面の真理と言えそうではあるが…。(続く)

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