医学部受験で小論文・面接試験が課される「真」の理由㉒

再受験生差別

主に私立の医学部入試において、再受験生差別は実在するのであろうか? 再受験生乃至はその関係者にとってはこれ以上ない関心事であろうが、当然と言えば当然ではあるものの「うちは差別入試を実施しています」と自発的に公言する医学部はこれまでにただ一つとして存在していない事だけはほぼ間違いないであろう。もっとも、各種裏口入試の発覚の際に文部科学省やマスコミ、或いは社会一般からの有形無形の厳しい追及を受け、再受験差別と見做されてもやむを得ない様な、不公平な取り扱いをしていた事を付随的に認めざるを得なくなった医学部であれば過去に何校もあった訳だが、この様に稀有な機会に恵まれる事がない限り再受験生差別があるともないともアナウンスされないのであるから、様々な憶測が飛び交うのもある意味やむを得ない話なのである。ある人は出願書類の経歴欄に長々と書いてある上に、年齢を確認するとそれなりの年増である場合、何だか面倒くさいので一次試験の受験はさせるものの最終合格の対象からは外れていると言ったり、またある人は一次試験までの扱いは現役生や一浪生・二浪生等と同等ではあるが、再受験生相手の面接は決まって圧迫面接となり、これを切り抜けて最終合格を勝ち取るのは至難の業であるらしいと言ったりするといった有様であり、しかも真相は入試に直接関わるごく一握りの人間以外、殆ど誰も知らないというのが実情である。それにしても再受験生というのは本当に医学部にとって歓迎されない存在なのであろうか? そもそも再受験生という概念自体が明確ではないのでここで整理しておくと、単純な浪人生とは異なり、現役高校生或いはその直後の浪人生時代には合格出来ずに諦めてしまった、或いはその頃は全く志していなかった大学・学部・学科等を目指して再び大学受験をしているのが再受験生であると評価する事が出来るであろう。

再受験生の共通点

従って再受験生と一口に言っても、上は退職後の60歳以上から下は高校卒業直後に不本意な大学や専門学校等に入学してしまったものの、すぐに辞めて真の第一志望へ向けて動き出した19歳(勿論新たに志を立てた時点では18歳である可能性が高いが、受験時を標準として考えれば年度内で特に誕生日の遅い人を除けば19歳と評するのが適切であろう)まで、実に年代は幅広く、人生経験も様々で、資格に結びつく事を考慮して、医学科を始めとするメディカル系の学部を志望する再受験生が多い一方で、東大や早大等の著名大学を志す再受験生や、最初の受験時には実利を追求する余り選択肢に入る事さえなかった、文学系や芸術系の学部・学科を志望する再受験生も、人数は多くはないものの確実に存在する。勿論年代的に下の方々は、高卒後そのまま大学受験を継続している浪人生と同じ様に扱われている事も少なくないが、これだけ多様性に富んだ彼ら彼女らにも間違いなく共通点がある。その共通点とは、誤解を恐れずに言えば現役高校生と比べれば年増だという事である。勿論年増であると言ってもその程度もまた様々であり、お兄さんお姉さんと評すべき層、おじさんおばさんと評すべき層、或いはお爺さんお婆さんと評すべき層までいらっしゃるというのが実情であろう。この様な書き方をすれば、ほぼ確実に「お前はわしの孫でもないのに、爺さん婆さん呼ばわりされる筋合いはないわ!」という怒りの声がどこかから聞こえてきそうではあるが、別に血縁に基づいてお爺さんお婆さんといった表現をしている訳ではなく、私は寧ろ社会的な役割としてのお爺さんお婆さんについて論じているのみであるから、この批判も決して的を射たものとは言えなさそうである。しかし現状を考慮すれば、社会的なお爺さんお婆さんの役割も軽視されがちではあるので、お爺さんお婆さんと評するに相応しい年代にあると自覚している方々が、若者(とやはり自覚している人々)には想像出来ない程にイライラを募らせるのも無理のない話であるのかも知れない。人生経験を積んだ者が軽んじられる現代社会とは如何なものかと考えなければならないのも事実ではあるが、一方で医学部や医療の現場においてお爺さんお婆さんとはどの様な評価を受ける存在なのであろうか? 次回以降はこの点に答えを出しつつ、再受験生差別の真実に光を当てていきたいと思う。(続く)

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