医学部受験で小論文・面接試験が課される「真」の理由㉔

前回のコラムを読んだ方へ

前回のコラムを最後まで読んだ方は、私が正気を保っている事を十分に理解してくださった事だと思う。「否、筆者はいつもずれた事ばかり書いており、前回もいつも通りのずれ方だったに過ぎない」というのが多くの読者の方々の忌憚のない意見かも知れないが、そう考えるのであれば、筆者が一貫性を保って筆を振るっている事が分かるであろうから、それはそれで悪くはないと評する事も出来よう。一方で「この人とのジェネレーションギャップは埋め難い」と感じている方もいらっしゃるであろうと思うが、それもその筈で現状の「なりたい職業ランキング」の裏No.1のポジションから「お爺さんお婆さん」という職業は大きく外れている事はほぼ間違いないのである。勿論世に出回る事のない「裏No.1」のポジションをどう推測しようが殆ど主観の問題に過ぎないと言われればそれまでではあるが、より適切な表現を用いれば、これは「推測」ではなく「推定」なのである。つまり断片的に知り得た情報ではなく、確固たる事実を手掛かりにして私はお爺さんお婆さんの、例のランキングにおける首位からの脱落を推し量っている訳であるが、その確固たる事実とは現状のお爺さんお婆さんが、子供達の憧れたり得る様な、精神的・物質的にゆとりがあり、それを示すゆったりとした態度を保っている様子を見る機会が極めて少なくなったという事である。

現代のお爺さんお婆さん

昔の様に年金に恵まれている訳でもない、現代のお爺さんお婆さんは、70代或いは80代になっても食べていく為に額に汗して働いているケースさえも稀ではない。流石に「額に汗して」は誇張が過ぎるという感想を抱く方もいらっしゃるかもしれないが、大卒で就職の後、定年退職を迎える60歳前後まで勤め上げた会社に、継続雇用の希望を提出すると、それまで主にデスクワークに従事し、相応の役職まで昇進した人であっても慣れない肉体労働中心の部署に再配属されてしまうといった事例も少なくないというのが日本企業の実情である。勿論企業側としても、ベテラン社員に肉体労働で活躍する事を真に期待しているのではなく、その様な再配属を厭い雇用継続希望を撤回して退職する事を迫る、事実上の「肩叩き」に過ぎない訳ではあるが、肩叩きに応じた場合、年齢的に再就職は困難なので、多くの場合収入源が年金しかなくなってしまい、更なる経済的困窮を強いられる結果となる。ただここで誤解して欲しくないのは、私は働いているお爺さんお婆さんが例外なく惨めな存在であるといった暴論を主張したい訳では決してないという事である。寧ろ自分のやりたい仕事を生涯続けられるというのは素晴らしい事であるし、もしその仕事の内容が主に肉体労働であったとしても、一緒に働いている若者達の足を引っ張るどころか、若者達にも勝るとも劣らぬパフォーマンスを常に示す、肉体のみならず精神的にもマッチョなお爺さんお婆さんに憧れを抱かない人を探し出す事の方が難しいであろうと私は思うが、現実にその様なお爺さんお婆さんに出会える機会は残念ながら現代の日本社会には殆どないと認めざるを得ない。僅かな年金のみでは満足に家賃を支払う事すら叶わないので、別に働きたい訳でもないが、段々と自分の言う事を聞かなくなってきた身体に鞭打ちながら、肉体労働であろうが何であろうが仕事がある限りどうにかこなし続けているお爺さんお婆さんが、皆さんのすぐ側にも多数いらっしゃる事であろう。

日本社会全体に対する義憤の様な気持ち

この様な状況を目の当たりにして、単に気の毒だと思う方もいれば、日本の企業や年金制度の在り方、或いは日本社会全体に対する義憤の様な気持ちを抱く方もいらっしゃるであろうから、多くの若者達に実に様々な感情を引き起こす事は間違いないと言えるが、少なくともお爺さんお婆さんに漠然と憧れる様な気持ちは、最早過ぎ去りし昭和のノスタルジーに過ぎないという現実を突きつけられる事となるであろう。そしてこのままお爺さんお婆さんは復権する事なく社会の片隅で寂しく生きていくだけなのであろうか? 否、復権も何もお爺さんお婆さんが中心的な位置を占め続けている分野がある。それが他でもない医学部であり医療分野なのであるが、その詳細については次回以降語りたいと思う。
(続く)

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