医学部受験で小論文・面接試験が課される「真」の理由㉖

ドラマや映画における脚色

前回は時代劇(一部は特撮寄りの時代劇と評する事も出来ようが)では余り描かれる事のない、忍者の実像に焦点を当てたが、忍者は現存しない職業である上に、スパイという性質上その実態が今日に至るまで明確にされていない為、比較的自由な脚色がなされている事は紛れもない事実と言える。しかし現存する他の職業についての、ドラマや映画における描写も忍者と五十歩百歩の大胆な脚色が行われている事もまた事実と言えるのではないだろうか? 冤罪を晴らす為に法廷で論理的ながら熱い舌戦を繰り広げる弁護士も、当初は犯罪組織への手に汗握る潜入捜査を敢行し、最後は派手なアクションとともに犯罪組織を一網打尽にする刑事も現実には全くではないにせよ殆どいないのである。勿論潜入捜査の法的な問題点は今更指摘するまでもないであろうが、その様な細かい点は抜きにしてもフィクションで描かれた専門職に実際に従事している方々の多くは「いや、私が従事しているのは華やかさとは無縁の地味な仕事ですよ…」と呟きながら苦笑いしている事であろう。

スーパードクター

そして医師の場合はどうであろうか? 残念ながら困難と思われる手術を必ず成功させる外科医も、どの様な状態で運ばれてきた怪我人の命も必ず救う救命救急医も現実にはいないのである。「殆どいない」ではなく「いない」と断言するのも過小評価が過ぎるのではないか、とツッコミを入れる読者の方も当然いらっしゃるであろうが、そう思った方は私の書いた文をつぶさに読み返して欲しい。私は意図的に「必ず」という副詞を用いているが、現実には「必ず」等という事は必ずと言って良い程ないのである。といった論理矛盾の様な表現を弄するのは兎も角として、スーパードクター等と称される実在する凄腕医師であったとしても、「必ず」患者を救う等という事はあり得ず、手術成功率が99%を超える外科医もいる事にはいるであろうが、これが数学的な厳密性をもって100%になるという事は現実にはないと言わざるを得ない。もっとも「手術成功率99%超」を称するスーパードクターは間違いなく正直者であり、大方の場合キャリアの初期に残念ながら失敗した経験があるので成功率100%には決してならないだけであって、相応の経験を積んでからの時期に限定するのであれば成功率100%と言って間違いないのであろうが、この様に時期を限定すること自体がある種の欺瞞と見做す方も少なくはないと言えるから、各種媒体において成功率100%を称しつつ、老眼のお爺さんお婆さんには読めるか読めないかすら定かではないレベルの小さい文字で「(20XX年以降の実績です)」等と書いているよりも遥かに信頼に値すると感じるのは私だけではないであろう。

難手術を避けたり避けさせたりする

しかしこれとは別の問題としてそれなりの手術成功記録が継続すると、その医師自身か、或いは医局等のその医師の関係者かどうかは定かではないが、これからの記録継続の目的で文字通りの難手術を避けたり避けさせたりする等して、一般人やマスコミ相手にはアピールしやすい反面、失敗するリスクは低いと考えられる手術のみをスーパードクターと呼ばれる医師が担当する様になるという言わば「出来レース」の様な状態が確立されている可能性も否定出来ないので、文字通りのスーパードクター等というものは現実には存在しないという見方もあるが、この様に作られたスーパードクターであってもこの地位まで登り詰めるのは医師の中でもごく一部だけであり、やはり医師という職業も全般的に見れば地味な職業と称して間違いないであろう。ただそうであるからこそお爺さんお婆さんも輝ける職業が医師なのであろうと私は思う。勿論身体的にも精神的にもマッチョなお爺さんお婆さんであれば、70代・80代或いはそれよりも年配になっても、外科系を中心とするハードな診療科において第一線で活躍し続ける事も恐らく出来るのであろうが、この様なお爺さんお婆さんは少数派であるのみならず、別に医師やその他の専門職のライセンスがなかったとしても、この社会で命ある限り燦然と輝き続ける事が出来るであろうから、些か逆説的ではあるが有益な議論の対象とはなり得ないであろう。それではその他のごく一般的なお爺さんお婆さんは医師であればどの様に活躍する事が見込めるのであろうか? その詳細は次回以降考えていきたいと思う。(続く)

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